沖縄の宮古島で、カウンセラーをしながら童話を書いています。くもり時々雨のち晴れの心模様をつづっています。
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写真運
2015年06月06日 (土) | 編集 |
最近、知人と超常現象の話になり、私自身改めて自覚したことがある。
それは、私が撮る写真には、結構、不思議なものが映ることが多い、ということ。
記憶の中で、最初のものは10年くらい前、沖縄本島の城跡を観光で訪れたとき、息子を撮影したところ、白いものが目の前を横切り、写真を見ると、白い火の玉のように、尾をひいた物体が映っていた。
ちなみに、その城跡とは、うちの苗字と同じ名前の城で、夫の話では、うちのご先祖さまゆかりの城だと話していた。
また、数年前、北海道を旅行した際、北海道庁のを写したところ、七色に輝く光が降りそそいでいた。
その七色に降りそそぐ光のシャワーは、その後、宮古島の離島の一つ、大神島でも数枚撮れた。
さらに、最近では、いわゆるオーブと思われる光の玉が、写ることが多い。
今、ざっと数えただけでも、それらの写真は20枚以上ある。
光の玉(オーブ)については、私の場合、一枚の写真につき一つだけだし、写るようになったのもここ最近なので、なんとなく、夫の霊かな?と思ったりしている。
もちろん、光の反射だとか、いろんな可能性はあるのだろうけれど、私はやっぱり、私についてくれている、いわゆる守護霊的なものだろう、と思っている。
どの写真も、とてもすがすがしくて、きれいなのだ。
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体の変化
2015年05月06日 (水) | 編集 |
このブログに、心模様は書いても、気づけば、体調についてはあまり書いていなかったような気がした。
年をとると、あっちが痛いだの、どこの病院がいいだの、そんな話題が自然に増えるものだが、自分もそういう仲間入りをする年齢になってきたのだなぁ、としみじみ思う。
昨年秋に、ジョギングをはじめてからおよそ半年、ひざに違和感を覚えるようになった。
たまに行くマッサージ店で相談すると、ストレッチを十分にすることと、足の筋力を鍛えること(とくにスクワット)を勧められた。
毎日、走るようになると、一日でも走らない日があるとダメなような気がするもので、そんなとらわれも、自分ではよくないような気がしていた。
そこで、ストレッチと筋トレをしつつ、気持ち面では無理をしないように、また、歩くだけでもいいと思うようにすることにした。
最近では、走る日は、だいぶ減り、ストレッチと筋トレも、気まぐれにするくらいがだ、ひざの違和感は以前より減っている。
しかし、ずっと同じ体勢で座っていると、動き出す時に体が固まっているのを感じる。とにかく、体が硬い。
これを書いていて、改めて思うけれど、体も、心も、柔軟性が大事なんだな~。
柔軟体操と、スクワットをしよう!
ボランティアについて思うこと
2015年04月29日 (水) | 編集 |
私はいくつかボランティア活動をしている。
一つは、自ら希望したもの。
もう一つは、頼まれたもの。
自ら希望したものは、楽しいし、友だちもいるし、できないときには無理をしないし、ほとんど苦ではない。
頼まれたものは、楽しい時もあるが、面倒なことも多くて、正直言って、最近は苦を感じている。
思い返せば、どちらも12年くらい続けている。

以前、クリスチャンの友だちが、給料の1割を寄付するという話をしていた。
うちも、夫がいた頃は、夫の給料から天引きで、ある活動団体に、わずかだが毎月一定額を寄付していたこともあった。
夫が亡くなってからは、お金での寄付はやめて、自分がボランティア活動をしていることも、いわゆる寄付にあたるだろうと思い、頼まれたボランティアも使命のようなものを感じて、続けてきた。

でも今、私の中で問題なのは、頼まれたボランティア活動について、そろそろ止めてもいいのかな?という気持ちになっていること。
最初は頼まれたことでも、自分がそれを続けてきたのは、いわゆるボランティア(自発的な)精神もあったからなのだが、最近、気持ちが変わってきている。

どちらの活動も、結局のところ、天から与えられた学びになっていることを感じるが、これから自分の中でどう処理して、どう消化していくのか、じっくり考えていこうと思う。
大人になるとは
2015年04月25日 (土) | 編集 |
最近、無性に腹立つことがあった。
私にとっては、久しぶりの怒り心頭。
その場は、私が一歩も二歩も下がって、引いた。
相手の理不尽な攻撃的な態度に、泣きたいくらいだったし、怒りの炎はメラメラ燃えていた。
内なる感情はかなり高ぶっていたが、その場では、なるべくゆっくり、しずかに話をした。
自分の意志を通すのではなく、それならどうぞ、みなさんで決めてください、という態度で、無理に逆らうことはしなかった。
結果、その話し合いが終わったときには、多くの人が私に同情し、味方になってくれたように感じた。
あの話し合いでの、あの時の対応は、あれでよかったのだろうと思う。
でも、その話し合いが終わった時、私の気持ちは、どこにもやり場をなくしていた。
モヤモヤ、メラメラ、泣きたいくらいの悔しく、悲しく、メッチャ苦しい気持ちを、なんとか速めに、なるべく人を傷つけない方法で処理したいと思った。
話し合いが終わって、気心知れた数人だけになった時、「もう、泣いてもいいですか!」と言って、泣いて、話して、笑って、また泣いて、そして笑って、「すっきりしました」と終わった。
自分の気持ちをなるべく早く話したことで、本当に少しは気持ちが楽になった。
ただ、その出来事は、かなり自分の中では怒りを感じていたらしく、家に帰ってからその日1日、友だちや息子に、そして犬にも、話して自分の気持ちを整理する作業が必要だった。

大人になるということ、大人らしい感情のコントロールができるということについて、改めて思うことがある。
大人だからといって、怒りを感じない、怒らない、悔しがったり、泣いたりしない、ということではないんだと。
「大人しい」ということが、「大人らしい」ということではない。
ちゃんと、自分の感情を安全に表現できて、人を傷つけることなく吐き出せることなんだと思う。
だから、私は、自分の気持ちを、これからも、周囲の人に表現していこう。
誰かが分かち合ってくれたり、共感してくれたり、分かってくれたら、ずいぶん楽になることも知っているからね。

仕事に一区切り
2015年03月11日 (水) | 編集 |
今年度、スクールカウンセラーとしての学校勤務が終了した。
私にとっては、ちょっと長めの春休み。
この春休み中にしようと思っていることを、書き出してみようと思う。
最近、頭の中でごちゃごちゃと、あれもやらなきゃ、これもしなきゃ、という思いがあるためか、
夜中に目が覚めたり、よくない夢を見たりする。

まずは、
1、仕事の記録整理
  ・これまで未整理の記録について、すべて整える。
  ・次年度に向けて、よりよい書式やフォーマット、統計の処理などを考える。
2、大学院の研究
  ・今のところ、3つあるテーマを1つにしぼる。
  ・教授に相談する。
  ・それぞれについて、自分自身も検討する。
  ・先行研究について調べ、妥当性を考える。
  ・研究計画を綿密なものにする。
  ・計画に基づき、必要書類などを作成する。
3、大学院の放送授業
  ・1年後期で落とした科目の再勉強をする。
  ・2年前期で履修する科目の予習をする。
4、読書
  ・これまで興味があり購入したのに、読んでいない書籍に手をつける。
5、家の手入れ
  ・ウッドデッキのペンキ塗り。
  ・庭の手入れ。
  ・大型観葉植物の植え替え。
  ・犬のための柵、付け替え。
6、人権擁護委員の事務作業
  ・事務局の仕事内容について見直し、再確認。
  ・次年度に向けて、仕事の詳細を把握、分配。
  ・次年度の綿密な計画。
  ・総会資料の作成。
7、友だちとのゆんたく(おしゃべり)
  ・ランチ、お茶など。

とまあ、こんなものだろうか。
書き出してみて感じたことは、この順番が、今自分の中での優先順位なのかな、ということ。
ただ、6の作業については、優先順位的には低めだが、この春しっかりやっておかなければならないこと。
結局、次年度も自分が事務局長をすることになりそうなので、卒業に向けて、実習や修論など、さらに忙しくなることを考えると、この春の間にきっちりできることをやっておこうと思う。
次年度に向けて、たすきを締めなおす感じの今、なのであった。
来年の今頃は…
2015年03月01日 (日) | 編集 |
今日は、高校の卒業式。
朝、小雨だったため、息子(高2)を学校まで送った。
参列する保護者の姿を見たときに、いよいよ、カウントダウン「1」が始まったんだと思った。
息子と暮せるのも、あと1年なんだなぁ~と、妙に実感が湧いた。
寂しくなるのは、ずっとずっと覚悟している。
子どもの人生を、自分の糧(かて)にするのではなく、自分の生きがいは、自分でちゃんとつくっていきたいと思う。
だから、これからの自分の夢や希望に向かって生きていこうと、こうして今を生きている。
私が大学院を卒業するのと、息子が高校を卒業するのは、同じ来年の3月。
そういう意味では、将来のことを語る息子と、今の私はある意味シンクロしていて、同じ時代を一緒に生きているように思う。
そんな風に、息子と将来の夢を語り合えるのは、本当に楽しいものだ。
でも、親の気持ちって、やっぱり、寂しさもつきまとうものなんだなぁ~と、自分がその立場になって、とても感じる。
自分の両親を思うと、どんな気持ちで送り出してくれたんだろう、と改めて思う。
こうやって、人は、年を積み重ねることで、いろんな気持ちを味わっていくものなんだなぁ。
中学の卒業式も泣けたけど、高校の卒業式もきっと泣けるんだろう。。。

ちょっと感慨にふけった日曜日。
時の流れ
2015年01月20日 (火) | 編集 |
週末、25年ぶりの出会いを満喫してきた。
大学生の頃、1年休学してブラジルに行っていたのだが、その時の仲間と、東京で25周年の同窓会があった。
日本全国から13人の仲間が集まった。
これまでに、何年かに一度会ったことのあるメンバーもいるが、本当に25年ぶりというメンバーもいて、
時の流れに驚いた。
25年という歳月は、生まれた子が25歳なわけで、自分たちがブラジルに行ったときの年齢より、月日が流れている。
なのに、人というのは、あんまり変わらないんだなぁ~、とつくづく思った。
もちろん、外見はそれなりに変わっているものの、いや、変わらない人もいたが、
性格的な部分はそのままだった。

それにしても、自分たちは、そんなに年を重ねてきたんだ、ということが、なんとも、不思議な気分だった。

若いときの仲間って、最高!!
っていうのも、実感。


私にとっての富士山
2015年01月12日 (月) | 編集 |
新年が明けた!
年末、栃木の実家に帰省し、冬の富士山も見てきた。
雪をかぶった富士山と湖、そして一羽の鷹も飛んでいて、一富士、二鷹の写真が撮れた。
今年はいいことがあるぞ、きっと。

1月は放送大学大学院の後期試験があり、2月にはまたスクーリングで千葉へ。
そろそろ、修士論文の研究も、進めなければいけないが、まだ、足踏み状態。
やるべきことが、気持ちの中で山積みになっている。
最近、感じるのは、ボランティア活動の限界。
これまで、事務局長としてやってきたボランティア活動があるのだが、時間的に、というより、気持ち的に、その活動のことを考える余裕がなくなってきている。大学院が私の気持ち的な割合の中で、大きく占めているからだ。
だからといって、いつも勉強、研究で時間もいっぱい使っている、というわけではないのだが、時間というより、気持ち配分で、いくつものことに、一所懸命に気持ちを傾けるということは、できないんだな、と感じている。「二兎を追うもの…」というやつだ。
ボランティア活動の方は、次年度、事務局長からは降ろしてもらおうと思っている。そうじゃないと、余計迷惑がかかってしまう。
今のところは、仕事とそれに連動した大学院の勉強、それで私には精一杯だ。心理の仕事も勉強も、すればするほど、大きくて高い山だと知るし、もっともっとその山に登ってみたいと思う。私の場合は、かなりゆっくりな歩みで、休憩も多いのだけれど、休憩している間に、他の低い山に登れるか、といえば、やはりそれはできないんだなぁ、ということがよく分かってきた。
なので、ボランティアの方は、ちょっと限界。
まずは、今登ろうとしているこの山一筋に、チャレンジしていきたい。
そんなことを改めて感じている1月なのだった。
風邪引いちゃったけど
2014年12月13日 (土) | 編集 |
久しぶりに風邪を引いた。
一昨日の晩、急にのどの痛みから始まった。
わぁお、ヤバイ!と思いながらも、ここ数年、ずっと熱を出した記憶がないので、たまには、休むのも悪くないか、仕事のやりくりどうしようか、などと思っていたのだが……。
結局今日まで、熱は出ていない。仕事も予定通りこなした。
のどの痛みは、だいぶ和らぎ、せきも鼻水も、ほんの少しだけ。
アラフィフともなると、これまでの風邪の経験値も数知れず、
免疫がたくさんついている、ということなのか?
うれしいやら、残念やら。
私の冬休みまで、あと一週間。
やっぱり、ここで休んでいるわけにはいかないので、重症にならずに良かったのだろう。
えらいぞ私!と、ほめておこう。
失敗
2014年11月29日 (土) | 編集 |
もうすぐ師走だというのに、今日の宮古島はすっごく暑い。ここ数日、蒸し暑い日が続いている。
せっかく秋物の服を買ったのに、まだ着ていない。
寒いのは苦手だが、暑いのも苦手。ぜいたくな不満だ。

昨日、仕事で失敗した。
カウンセラーとしての基本的な過ち。
ああ~、と落ち込む。
その過ちを通して、自分の今の課題がはっきりと見えてきた。
失敗は成功の元とは、言うけれど、
失敗は失敗。やはり後味が悪い。

不思議なことに、自分の過ちが起きるのは、ある人によって発見されることが多い。
そのある人とは、人として立派な存在。
その人から学ぶことが多い。
その人は、私に質問することで、私は自分の過ちに気づく。
ただ質問されるだけなのに、私は教え、諭される。
「質問」は、人を追い込むこともできるが、人を学ばせることもできる。
そんなことも、その人を通して教えられた。

何に、落ち込んでいるのか、と言えば、失敗したこともさることながら、
私はその人に、いつも、自分の失敗をさらしているようで、
そのことがとても恥ずかしい。
自分も尊敬するその人に、自分のいいところも見せたいという思いがあるのだろう。
でもなぜか、失敗は、きまってその人の前で明らかになる。
不思議だが、私にとっておそらく、神様の使いのような存在なのだろう。

人は一生、学び続けるんだろうなぁ。
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