私にとっての箱庭
2009.11.26 *Thu
今回の本土への旅は、私にとって青い鳥を探す旅のようだった。
カウンセリングルームを開きたいという思いを抱え、何からどうしたらいいのか分からないまま、知人のカウンセラーさんに会い、どうしても学びたかった箱庭療法のワークショップにも参加し、そこからつながる先があるような気がしていた。いろいろな出会いがあって、学びもいっぱいあった。本当に充実した旅だった。でもじつは、探していたものは近くにあったんだ、ということが分かった。
箱庭のワークを受けた先生には、沖縄の先生を紹介されたのだが、その方は私も知っている方だった。帰宅してから、沖縄のその先生の連絡先を調べようとネットで検索をしていたら、沖縄のカウンセラー一覧が紹介されているページを見つけ、なんと、宮古島で心理カウンセラーをしている人がいることを発見した。宮古島には、まだカウンセリング事務所はないと思っていたし、誰にもそういう存在をきいたことがなかったので、正直驚いた。
早速連絡を取り、会う約束をした。
帰宅してから、新たな展開が、ここから始まるのを感じた。
旅をしなければ、分からなかったことだ。
箱庭のワークは、実際にやってみて、とても楽しいものだった。講師の岸良範先生もじつに楽しく、面白いキャラクターの方だった。
一緒にワークを受けた方と、帰り道、ほんのわずかな時間だが感想を語り合った。
その方いわく、「自分には、他の方の箱庭を見ても何にも分からず、いろんなコメントができる先生がすごいと思った。私は全然ダメだと思った」とのことだった。
そう言われてみてふと、自分のことを省みることができた。私自身も、先生のコメントを聞きながら、全然先生のようには読み取れなかったなぁ、と。なのに、自分はダメだとは全く思っていない自分がいるというのも、すごいなぁ。自分のこの箱庭にくらいついていく意欲、自分も絶対に箱庭をするんだ、という思いはどこから来るのだろう、と。
今回、箱庭のワークの前日には、知人のカウンセラーさんによるカウンセリングを受けたのだが、自分にとって箱庭につながるような原点が、子どものころからの遊びや、大人になってからも自分が知らず知らずに選んでいるものの中にもあることに気がついた。
自分に(箱庭療法が)できるとかできないとか、そんな冷静になって考える問題以前に、ただしたい、という思いだけなのだ。
自分の中に流れる、自分でもわけの分からない興味や好みというのは、一体どこから来るのだろう。不思議なものだ。こういうのを前世からつながりというのか、DNAに組み込まれている無意識的なものなのか、それとも、これこそが天からの使命につながるものなのか、なんなのかはさておき、今、自分がこれだと思う興味に、素直に従おうと思う。その先にどんな道があるのかは分からないけれど。
カウンセリングルームを開きたいという思いを抱え、何からどうしたらいいのか分からないまま、知人のカウンセラーさんに会い、どうしても学びたかった箱庭療法のワークショップにも参加し、そこからつながる先があるような気がしていた。いろいろな出会いがあって、学びもいっぱいあった。本当に充実した旅だった。でもじつは、探していたものは近くにあったんだ、ということが分かった。
箱庭のワークを受けた先生には、沖縄の先生を紹介されたのだが、その方は私も知っている方だった。帰宅してから、沖縄のその先生の連絡先を調べようとネットで検索をしていたら、沖縄のカウンセラー一覧が紹介されているページを見つけ、なんと、宮古島で心理カウンセラーをしている人がいることを発見した。宮古島には、まだカウンセリング事務所はないと思っていたし、誰にもそういう存在をきいたことがなかったので、正直驚いた。
早速連絡を取り、会う約束をした。
帰宅してから、新たな展開が、ここから始まるのを感じた。
旅をしなければ、分からなかったことだ。
箱庭のワークは、実際にやってみて、とても楽しいものだった。講師の岸良範先生もじつに楽しく、面白いキャラクターの方だった。
一緒にワークを受けた方と、帰り道、ほんのわずかな時間だが感想を語り合った。
その方いわく、「自分には、他の方の箱庭を見ても何にも分からず、いろんなコメントができる先生がすごいと思った。私は全然ダメだと思った」とのことだった。
そう言われてみてふと、自分のことを省みることができた。私自身も、先生のコメントを聞きながら、全然先生のようには読み取れなかったなぁ、と。なのに、自分はダメだとは全く思っていない自分がいるというのも、すごいなぁ。自分のこの箱庭にくらいついていく意欲、自分も絶対に箱庭をするんだ、という思いはどこから来るのだろう、と。
今回、箱庭のワークの前日には、知人のカウンセラーさんによるカウンセリングを受けたのだが、自分にとって箱庭につながるような原点が、子どものころからの遊びや、大人になってからも自分が知らず知らずに選んでいるものの中にもあることに気がついた。
自分に(箱庭療法が)できるとかできないとか、そんな冷静になって考える問題以前に、ただしたい、という思いだけなのだ。
自分の中に流れる、自分でもわけの分からない興味や好みというのは、一体どこから来るのだろう。不思議なものだ。こういうのを前世からつながりというのか、DNAに組み込まれている無意識的なものなのか、それとも、これこそが天からの使命につながるものなのか、なんなのかはさておき、今、自分がこれだと思う興味に、素直に従おうと思う。その先にどんな道があるのかは分からないけれど。
揺れているのは何だろう?
2009.11.19 *Thu
今朝方、久しぶりに印象的な夢を見た。
それは、地震の夢。弓道場の控え室(?)のような和室にいると、大きな地震に見舞われ、揺れはどんどん激しくなっていく。ふすまなどの家の建具が折り重なって倒れていくのだが、私はそれらを払いのけ、学校の司書教員(女性)を抱きかかえ非難する。その先生は、私の体重の1.5倍(?)くらいはある方なのだが、火事場の馬鹿力で抱っこできるんだねぇ、と思った。
朝、気になって夢分析の本をあれこれ見直した。地震の夢は、「心の中心性(自分を自分と意識しているもの)の揺れ」なのだという。
私の中心性ってなんだろう? 何が揺れているんだろう? と考えながら、この夢の大事な点をもう一度考えてみる。それは、大きな地震の中にあって、けっこう冷静に倒れてくる建具を払いのけ、私より重い人を抱きかかえて非難している、という点かな、とも思う。
そういえば、おとといスクールカウンセラーに応募する書類を送ったことを思い出した。地震の中で助けた人が先生というのも、何かリンクしているのかも。
スクールカウンセラーの応募書類には、様式の決まった履歴書のほかに、自己ピーアールがあるのだが、知人の方にあまり書く余地がない様式の決まった履歴書だけでなく、別添で自分がピーアールしたい内容を書いた履歴書を付けた方がいいと、数日前にアドバイスをいただいた。その方には、自己ピーアールについてもアドバイスをいただき、自分だけでは、ここまでの書類は準備できなかったなぁと思う。その方に出会えたのも、さまざまな導きがあったおかげなので、いろいろな人のご縁に感謝の気持ちが募る。
そうして提出したスクールカウンセラーの応募書類だが、今年ダメでもまた次があるし、なるようになると今は思っている。
先日テレビに生田悦子さんが出ていて、「人生はケセラセラですよ。なるようになる。そう思ってから本当に楽になりました。」と、こんな風なことを話していた。そういうセリフはたまに聞くし、とりわけて新しい考えでもないが、今の私にはなんだか心に残った。
沖縄には「なんくるないさ」という言葉がある。「なんとかなる」という意味で言われるけれど、「なるようになる」という言うと、もっと流れに身を任せている感じがする。
「なんとかなる」は、なんとかしようしている自分を感じる。でも、「なるようになる」はなんとかしようともせず、とにかくすべてをゆだねている感じがする。
「なんとかしよう」とするから、いろんな摩擦やジレンマがあるけれど、最初から「なるようになる」と思っていれば、どんなことが起きても、悠然としていられるような、そんな気がした。
私もケセラセラでいこうと思う。
そんなときに見た地震の夢。一体、無意識の私は、私に何を伝えたかったのか?
明日は、いよいよ東京へ。カウンセリングに箱庭に、どんな学びがあるかなぁ。
それは、地震の夢。弓道場の控え室(?)のような和室にいると、大きな地震に見舞われ、揺れはどんどん激しくなっていく。ふすまなどの家の建具が折り重なって倒れていくのだが、私はそれらを払いのけ、学校の司書教員(女性)を抱きかかえ非難する。その先生は、私の体重の1.5倍(?)くらいはある方なのだが、火事場の馬鹿力で抱っこできるんだねぇ、と思った。
朝、気になって夢分析の本をあれこれ見直した。地震の夢は、「心の中心性(自分を自分と意識しているもの)の揺れ」なのだという。
私の中心性ってなんだろう? 何が揺れているんだろう? と考えながら、この夢の大事な点をもう一度考えてみる。それは、大きな地震の中にあって、けっこう冷静に倒れてくる建具を払いのけ、私より重い人を抱きかかえて非難している、という点かな、とも思う。
そういえば、おとといスクールカウンセラーに応募する書類を送ったことを思い出した。地震の中で助けた人が先生というのも、何かリンクしているのかも。
スクールカウンセラーの応募書類には、様式の決まった履歴書のほかに、自己ピーアールがあるのだが、知人の方にあまり書く余地がない様式の決まった履歴書だけでなく、別添で自分がピーアールしたい内容を書いた履歴書を付けた方がいいと、数日前にアドバイスをいただいた。その方には、自己ピーアールについてもアドバイスをいただき、自分だけでは、ここまでの書類は準備できなかったなぁと思う。その方に出会えたのも、さまざまな導きがあったおかげなので、いろいろな人のご縁に感謝の気持ちが募る。
そうして提出したスクールカウンセラーの応募書類だが、今年ダメでもまた次があるし、なるようになると今は思っている。
先日テレビに生田悦子さんが出ていて、「人生はケセラセラですよ。なるようになる。そう思ってから本当に楽になりました。」と、こんな風なことを話していた。そういうセリフはたまに聞くし、とりわけて新しい考えでもないが、今の私にはなんだか心に残った。
沖縄には「なんくるないさ」という言葉がある。「なんとかなる」という意味で言われるけれど、「なるようになる」という言うと、もっと流れに身を任せている感じがする。
「なんとかなる」は、なんとかしようしている自分を感じる。でも、「なるようになる」はなんとかしようともせず、とにかくすべてをゆだねている感じがする。
「なんとかしよう」とするから、いろんな摩擦やジレンマがあるけれど、最初から「なるようになる」と思っていれば、どんなことが起きても、悠然としていられるような、そんな気がした。
私もケセラセラでいこうと思う。
そんなときに見た地震の夢。一体、無意識の私は、私に何を伝えたかったのか?
明日は、いよいよ東京へ。カウンセリングに箱庭に、どんな学びがあるかなぁ。
旅支度は冬支度
2009.11.17 *Tue
今週末は、本土へ。箱庭療法のワークショップがある。せっかく本土へ行くのだから、友人宅へもおじゃまして、個人開業しているカウンセラーさんにも会う。
数ヶ月前から、その予定を立てて動いていたので、ワクワクが募る。
こちら宮古島は、まだ半袖の人もいるけれど、東京はどんな寒さかなぁ?天気予報を見ると、宮古島の真冬なみの気温。これは、冬支度で行かなければ。それを理由にしまむらへ行く。薄くて、軽くて、旅のじゃまにならないジャケットが欲しいと思い探すが、なかなか見つからない。デザインも気に入り値段も手ごろだけれど、かさばりすぎたり。薄くて軽くて旅にはピッタリでも、デザインがいまいちだったり。結局、沖縄のチェーン店、サンエーで私の要望に叶うものが見つかる。
私は形から入るタイプなんだろうなぁ。一番外側に着るジャケットが決まって一安心。
3泊4日の、久々の一人旅。あれやこれや準備しなければと、せわしない。
でも、旅支度をしながらも、やるべきことはいろいろある。
まず、県教育委員会にスクールカウンセラーの応募をすること。自己ピーアールと履歴書を明日までに提出しなければ。人権擁護委員として人権週間の準備あれこれ。法務局に行かなくちゃ。箱庭療法については、読んだ本をノートに整理しておきたいし…。明日は息子の授業参観もあるし…。
こんなときは、あわてず、落ち着いて、一つずつこなして、To Do リストをチェックしていく。
さあ、何からしよう。洗濯物も山積みだぁ。
数ヶ月前から、その予定を立てて動いていたので、ワクワクが募る。
こちら宮古島は、まだ半袖の人もいるけれど、東京はどんな寒さかなぁ?天気予報を見ると、宮古島の真冬なみの気温。これは、冬支度で行かなければ。それを理由にしまむらへ行く。薄くて、軽くて、旅のじゃまにならないジャケットが欲しいと思い探すが、なかなか見つからない。デザインも気に入り値段も手ごろだけれど、かさばりすぎたり。薄くて軽くて旅にはピッタリでも、デザインがいまいちだったり。結局、沖縄のチェーン店、サンエーで私の要望に叶うものが見つかる。
私は形から入るタイプなんだろうなぁ。一番外側に着るジャケットが決まって一安心。
3泊4日の、久々の一人旅。あれやこれや準備しなければと、せわしない。
でも、旅支度をしながらも、やるべきことはいろいろある。
まず、県教育委員会にスクールカウンセラーの応募をすること。自己ピーアールと履歴書を明日までに提出しなければ。人権擁護委員として人権週間の準備あれこれ。法務局に行かなくちゃ。箱庭療法については、読んだ本をノートに整理しておきたいし…。明日は息子の授業参観もあるし…。
こんなときは、あわてず、落ち着いて、一つずつこなして、To Do リストをチェックしていく。
さあ、何からしよう。洗濯物も山積みだぁ。
「気になる」を「気にしない」には?
2009.11.11 *Wed
家の新築計画は、ゆっくりゆっくりと進んでいる。
先日は、1年前にも行った水回り商品の展示会に行ってきた。1年前にも見積もりをお願いしたのに……。でも、内容は1年前とまったく同じというわけではない。商品も多少違うし、こちらの計画や気持ちにも変化があるので、考える時間はあればあるほど、練られる(?)というわけだ。
じつは最近、これから建てる家のことで少し気になっていることがある。
それは、近くにある視覚障がい者用の信号機のこと。「カッコー、カッコー」「ピヨピヨ」と鳴く、あの音のことだ。
あの音は視覚障がい者の方にとって、命を守る大切な音なわけで、それを思うとあの音をどうにかして欲しいとは、なかなか言えるものではない。自分だって将来、利用する立場になったら、近くの交差点が音のなる信号機であれば、安心して渡ることができるわけだからありがたいはずだ。
と、いろいろ肯定的に考えるのだが、そこへ行って静かにたたずんでいると、やはり、しっかりとその音が聞こえてくる。
ただ、建物ができて家の中で過ごせば、多少は違うだろうと思う。また、しばらくしたら慣れてしまうということもあるだろう。こればかりは、家ができて家の中で過ごしてみなければ分からない。
とはいえ、その音がきっかけとなり、私はいろいろなことを考えさせられた。
視覚障がい者用の信号機については、昔、「とおりゃんせ」などのメロディー信号が主流だったのだが、苦情が多くて鳥の鳴き声に変わってきたとか。視覚障がい者の立場からはどうなのか、海外ではどうなのか、ひいては、ユニバーサルデザインについて、などなど。
また、音の対策については、風鈴や水の音などを、家の中に取り入れてはどうか? 有線放送を流してはどうか?などと考えた。そのうち、水の音については、家の中におく小さな噴水とか、滝のようなオブジェとか、滝の音がでる絵などがあることも分かった。
それから、今過ごしている家でも、普段の生活でどのような音が聞こえてくるのか、耳を傾ける機会が多くなった。鳥の鳴き声、虫の声、車のエンジン音、遠くは清掃センターの稼動音など、いろいろな音があるものだ。
結局、音というのは、気にしていると聞こえるし、気にしなければ聞こえないものなのだ。
要は気にしないこと。ところが、この「気にしない」という教えほど、役に立たないものはないと思う。「気にしない」というより、「何かに夢中になる」と考えた方がいいように思う。
こんな、とりとめもない話を友だちとしたら、その友だちも家を買うか建てるか迷っているので、お互い話があった。結果、モンモンとした思いは一人で悩まず、口に出してみることだね、ということになった。
話しているうちに、自分はそこに住みたくないと思っているわけではなく、もうそこへ引っ越すんだと思っている気持ちがよく分かった。
そこに家を建てようという計画があったから、カウンセリングルームを開くという思いに至った、といっても過言ではないのだ。そこは、市内の中心地域で、大きな通りの一本の裏の道にある。人には教えやすい場所だが、人通りは少ない。カウンセリングルームをするには、ある意味、もってこいの場所だと思う。
私自身にとっても、時々調停委員として通う裁判所は、歩いて2,3分のところにあるし、夫の会社もすぐ近く。夫の実家にも、今までよりも近くなる。ちなみに、息子の通う小学校もすぐ近くなのだが、中学生になってしまう息子にはちょっと残念。
家を建てるということは、喜びや楽しみもあるけれど、少なからず不安や心配もあるものなのだろう。
そういうこと全部ひっくるめて、きっと人生の学びに違いない。
何かの縁でそこに住むなら、とことん、いろんなことを味わってみるか。
先日は、1年前にも行った水回り商品の展示会に行ってきた。1年前にも見積もりをお願いしたのに……。でも、内容は1年前とまったく同じというわけではない。商品も多少違うし、こちらの計画や気持ちにも変化があるので、考える時間はあればあるほど、練られる(?)というわけだ。
じつは最近、これから建てる家のことで少し気になっていることがある。
それは、近くにある視覚障がい者用の信号機のこと。「カッコー、カッコー」「ピヨピヨ」と鳴く、あの音のことだ。
あの音は視覚障がい者の方にとって、命を守る大切な音なわけで、それを思うとあの音をどうにかして欲しいとは、なかなか言えるものではない。自分だって将来、利用する立場になったら、近くの交差点が音のなる信号機であれば、安心して渡ることができるわけだからありがたいはずだ。
と、いろいろ肯定的に考えるのだが、そこへ行って静かにたたずんでいると、やはり、しっかりとその音が聞こえてくる。
ただ、建物ができて家の中で過ごせば、多少は違うだろうと思う。また、しばらくしたら慣れてしまうということもあるだろう。こればかりは、家ができて家の中で過ごしてみなければ分からない。
とはいえ、その音がきっかけとなり、私はいろいろなことを考えさせられた。
視覚障がい者用の信号機については、昔、「とおりゃんせ」などのメロディー信号が主流だったのだが、苦情が多くて鳥の鳴き声に変わってきたとか。視覚障がい者の立場からはどうなのか、海外ではどうなのか、ひいては、ユニバーサルデザインについて、などなど。
また、音の対策については、風鈴や水の音などを、家の中に取り入れてはどうか? 有線放送を流してはどうか?などと考えた。そのうち、水の音については、家の中におく小さな噴水とか、滝のようなオブジェとか、滝の音がでる絵などがあることも分かった。
それから、今過ごしている家でも、普段の生活でどのような音が聞こえてくるのか、耳を傾ける機会が多くなった。鳥の鳴き声、虫の声、車のエンジン音、遠くは清掃センターの稼動音など、いろいろな音があるものだ。
結局、音というのは、気にしていると聞こえるし、気にしなければ聞こえないものなのだ。
要は気にしないこと。ところが、この「気にしない」という教えほど、役に立たないものはないと思う。「気にしない」というより、「何かに夢中になる」と考えた方がいいように思う。
こんな、とりとめもない話を友だちとしたら、その友だちも家を買うか建てるか迷っているので、お互い話があった。結果、モンモンとした思いは一人で悩まず、口に出してみることだね、ということになった。
話しているうちに、自分はそこに住みたくないと思っているわけではなく、もうそこへ引っ越すんだと思っている気持ちがよく分かった。
そこに家を建てようという計画があったから、カウンセリングルームを開くという思いに至った、といっても過言ではないのだ。そこは、市内の中心地域で、大きな通りの一本の裏の道にある。人には教えやすい場所だが、人通りは少ない。カウンセリングルームをするには、ある意味、もってこいの場所だと思う。
私自身にとっても、時々調停委員として通う裁判所は、歩いて2,3分のところにあるし、夫の会社もすぐ近く。夫の実家にも、今までよりも近くなる。ちなみに、息子の通う小学校もすぐ近くなのだが、中学生になってしまう息子にはちょっと残念。
家を建てるということは、喜びや楽しみもあるけれど、少なからず不安や心配もあるものなのだろう。
そういうこと全部ひっくるめて、きっと人生の学びに違いない。
何かの縁でそこに住むなら、とことん、いろんなことを味わってみるか。
これまでにない「読書集会」
2009.11.06 *Fri
昨日は、小学校で「読書集会」があった。
例年、読みきかせをしているお母さんたちに出演依頼があり、劇や人形劇などをしてきたのだが、今年は、図書館の司書の先生からの提案で、図書委員の子どもたちと一緒に何かやって欲しいと頼まれた。
約1ヵ月ほど前から、打ち合わせや練習を重ね、劇「ももたろう〜宮古島バージョン」を披露した。
脚本は、私が担当。みんなの意見や出演者を想定して、ちょっと笑えるものにしようと、私なりに、コント風にしてみた。
今回、とても良かったと思うのは、校長先生をはじめとする先生方、児童、お母さんたちの3者によるコラボレーションだったこと。出演者は、オバー役に校長先生。オジー役に教頭先生(声)、教務主任(代役)。司会、桃太郎、ピンザ(ヤギ)、宮古馬、サシバに児童。赤鬼と青鬼にお母さんたちという、学習発表会でもありえない豪華な組み合わせ。オバー役に扮装した校長先生が登場し、桃太郎役の児童とからみ、鬼に扮したお母さんたちが、子どもらを追い掛け回すのだから、なかなか見ごたえのある、面白い舞台だったと思う(自画自賛)。笑って欲しいところで、笑いが起きると、ヤッター!とうれしくなった。
私は、当日音響を担当し、事前に録音した声のテープと、音楽とをタイミングをみながら、スイッチを切り替えた。けっこう、みんなに口を出したりしながら、裏方をするのも楽しいものだ。
思い返せば高校生の頃、私、演劇部だったんだよね〜。あの頃は、役がもらえないと少しがっかりしたけれど、どちらかといえば今は、脚本とか演出の方をしたいと思う。
また、こういう機会があったら、お手伝いしたいなぁ。
例年、読みきかせをしているお母さんたちに出演依頼があり、劇や人形劇などをしてきたのだが、今年は、図書館の司書の先生からの提案で、図書委員の子どもたちと一緒に何かやって欲しいと頼まれた。
約1ヵ月ほど前から、打ち合わせや練習を重ね、劇「ももたろう〜宮古島バージョン」を披露した。
脚本は、私が担当。みんなの意見や出演者を想定して、ちょっと笑えるものにしようと、私なりに、コント風にしてみた。
今回、とても良かったと思うのは、校長先生をはじめとする先生方、児童、お母さんたちの3者によるコラボレーションだったこと。出演者は、オバー役に校長先生。オジー役に教頭先生(声)、教務主任(代役)。司会、桃太郎、ピンザ(ヤギ)、宮古馬、サシバに児童。赤鬼と青鬼にお母さんたちという、学習発表会でもありえない豪華な組み合わせ。オバー役に扮装した校長先生が登場し、桃太郎役の児童とからみ、鬼に扮したお母さんたちが、子どもらを追い掛け回すのだから、なかなか見ごたえのある、面白い舞台だったと思う(自画自賛)。笑って欲しいところで、笑いが起きると、ヤッター!とうれしくなった。
私は、当日音響を担当し、事前に録音した声のテープと、音楽とをタイミングをみながら、スイッチを切り替えた。けっこう、みんなに口を出したりしながら、裏方をするのも楽しいものだ。
思い返せば高校生の頃、私、演劇部だったんだよね〜。あの頃は、役がもらえないと少しがっかりしたけれど、どちらかといえば今は、脚本とか演出の方をしたいと思う。
また、こういう機会があったら、お手伝いしたいなぁ。
社会復帰初日にしたこと
2009.10.30 *Fri
病院の指示通り、平熱に下がってから2日間の謹慎を守り、きょうは新型インフルエンザからの社会復帰初日となった。世間に認められて昼寝三昧過ごしてよいという日々が、妙に名残惜しい。
枕に後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、ハローワークへ向かった。
ちなみに、ストパーはネグセもほとんどつかず、いまだにサラサラを保っている。寝起きのままでも、人前に出られるところが、やっぱりスゴイと思う。
さて、ハローワークへ行ったのは、紹介状をもらうため。
沖縄県のスクールカウンセラー(また、スクールカウンセラーに準ずる者)の候補者選考面接等実施要項の手続き上必要だからだ。
ハローワークへ行くのは、かなり久しぶり。紹介状って、簡単にいただけるのかも分からず、やや不安もあったが、窓口のお姉さんの指示に従い、求人票を出して、簡単なやりとりをして、すぐにいただくことができた。
そうか、紹介状といっても、往復はがき一枚ぐらいの大きさのもので、とくに私のことを文章化して紹介してくれるわけではなかったのだ。
私は臨床心理士の資格を持っていないので、「スクールカウンセラーに準ずる者」の方で応募するのだが、最近まで「―に準ずる者」に自分が該当するとも思っていなかった。
「心理臨床業務、または児童生徒を対象とする相談業務について5年以上の経験を有するもの」という部分が、当てはまるともいえるし、厳密にはどうなのか疑問もあるのだが、そこはまあ、ダメでもともとの気持ちで受けてみようと思う。
面接までたどりつけるかどうか分からないが、やっぱり、リクルートスーツがいいのだろうか?
枕に後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、ハローワークへ向かった。
ちなみに、ストパーはネグセもほとんどつかず、いまだにサラサラを保っている。寝起きのままでも、人前に出られるところが、やっぱりスゴイと思う。
さて、ハローワークへ行ったのは、紹介状をもらうため。
沖縄県のスクールカウンセラー(また、スクールカウンセラーに準ずる者)の候補者選考面接等実施要項の手続き上必要だからだ。
ハローワークへ行くのは、かなり久しぶり。紹介状って、簡単にいただけるのかも分からず、やや不安もあったが、窓口のお姉さんの指示に従い、求人票を出して、簡単なやりとりをして、すぐにいただくことができた。
そうか、紹介状といっても、往復はがき一枚ぐらいの大きさのもので、とくに私のことを文章化して紹介してくれるわけではなかったのだ。
私は臨床心理士の資格を持っていないので、「スクールカウンセラーに準ずる者」の方で応募するのだが、最近まで「―に準ずる者」に自分が該当するとも思っていなかった。
「心理臨床業務、または児童生徒を対象とする相談業務について5年以上の経験を有するもの」という部分が、当てはまるともいえるし、厳密にはどうなのか疑問もあるのだが、そこはまあ、ダメでもともとの気持ちで受けてみようと思う。
面接までたどりつけるかどうか分からないが、やっぱり、リクルートスーツがいいのだろうか?
新型、もう怖くない?
2009.10.28 *Wed
月曜日の夕方、夕飯の支度をしようと台所に立つと、急に足がだるいことに気がついた。今日は早く寝たほうがいいなぁ、と思っているうちに、体全体に倦怠感が。心なしか節々が痛いような気もした。
その日は朝からのどがムズムズしてこそばゆく、痛いわけではないのだが、風邪の引き始めのようなそんな感じがしていた。
夜7時ごろ、体のだるさがどうも今までの風邪とはちょっと違う。もしやこれは?と思いながら、熱を測ると37.5度。夕飯を食べ終えてからさらに熱は上がり、38.2度。早めに横になるが、たんが絡んでなかなか寝付けない。
翌朝は、平熱に下がったものの、午前10時から集まりがあったため、9時には病院に行き、インフルエンザの検査をしてもらった。
看護婦さんは、「薬を飲まずに熱は下がったんですよね。たぶん、検査をしても、今のインフルエンザはすぐに反応が出ない場合が多いので、出ないと思いますよ」という。
しかし、結果はA型の陽性反応が出たのだった。看護婦さんは、「こんなこともあるのねぇ。やっぱり検査はしてみるものねぇ。」としきりに言っていた。
A型の反応が出た場合、いまは新型ということになるらしい。
なんだが妙に安堵感。病院から電話をして、その日の予定をすべてキャンセルし、翌日の予定も電話で済ませることにして、あとはゆっくり体を休めるだけになった。
ここのところ、なんだかんだ、やっぱり忙しかったように思う。
タミフルを処方してもらい、昨日は一日ゆっくり休み、昼間38度まで一度熱は上がったものの、洗濯物を干しているうちに熱は下がり、きょうはもうずっと平熱。
私の場合、かなり軽い方だと思う。動けるし、食べれるし、どこも痛くない(口内炎を除いては)。体がだるかったのも最初だけで、いまは至って普通。これでもう、新型インフルエンザを怖がらないでいいのだから、ラッキーではある。
ただ一つ申し訳ないのは、息子が一日登校停止になってしまったこと。
ここのところ、毎日陸上の練習に燃えていたので、休むのはとても残念な様子。しかも、一日中、インフルエンザの母親と同じ屋根の下にいて危機にさらされるわけだから、一日だけ学校を休むという措置はどうなのか?と少し思う。
というわけで、なるべく息子と離れて過ごしている。
また熱が出てもいけないので、もうしばらく、ゆっくり過ごすことにしよう。
その日は朝からのどがムズムズしてこそばゆく、痛いわけではないのだが、風邪の引き始めのようなそんな感じがしていた。
夜7時ごろ、体のだるさがどうも今までの風邪とはちょっと違う。もしやこれは?と思いながら、熱を測ると37.5度。夕飯を食べ終えてからさらに熱は上がり、38.2度。早めに横になるが、たんが絡んでなかなか寝付けない。
翌朝は、平熱に下がったものの、午前10時から集まりがあったため、9時には病院に行き、インフルエンザの検査をしてもらった。
看護婦さんは、「薬を飲まずに熱は下がったんですよね。たぶん、検査をしても、今のインフルエンザはすぐに反応が出ない場合が多いので、出ないと思いますよ」という。
しかし、結果はA型の陽性反応が出たのだった。看護婦さんは、「こんなこともあるのねぇ。やっぱり検査はしてみるものねぇ。」としきりに言っていた。
A型の反応が出た場合、いまは新型ということになるらしい。
なんだが妙に安堵感。病院から電話をして、その日の予定をすべてキャンセルし、翌日の予定も電話で済ませることにして、あとはゆっくり体を休めるだけになった。
ここのところ、なんだかんだ、やっぱり忙しかったように思う。
タミフルを処方してもらい、昨日は一日ゆっくり休み、昼間38度まで一度熱は上がったものの、洗濯物を干しているうちに熱は下がり、きょうはもうずっと平熱。
私の場合、かなり軽い方だと思う。動けるし、食べれるし、どこも痛くない(口内炎を除いては)。体がだるかったのも最初だけで、いまは至って普通。これでもう、新型インフルエンザを怖がらないでいいのだから、ラッキーではある。
ただ一つ申し訳ないのは、息子が一日登校停止になってしまったこと。
ここのところ、毎日陸上の練習に燃えていたので、休むのはとても残念な様子。しかも、一日中、インフルエンザの母親と同じ屋根の下にいて危機にさらされるわけだから、一日だけ学校を休むという措置はどうなのか?と少し思う。
というわけで、なるべく息子と離れて過ごしている。
また熱が出てもいけないので、もうしばらく、ゆっくり過ごすことにしよう。
ストパーをかけて思うこと
2009.10.25 *Sun
ストレートパーマをかけた。
数十年ぶりに、サラサラの髪を体験している。
幼い頃は、風になびくサラサラヘアだったのだが、小学校高学年の頃からクセがではじめ、いわゆる思春期の頃は、クセ毛が悩みのタネでもあった。
毎朝、ドライヤーとブラシは欠かせなかった。
若い頃は、自分でできるストレートパーマ液で何度か挑戦したこともあったと思う。
でも、二十歳を過ぎてからは、多少自分の髪の毛との付き合い方も心得てきたのか、高額なストレートパーマをかけてまでイメージチェンジしなくてもいいか、と思っていた。
耳にもピアスの穴をあけられない私は、もしかしたら、もっと深い部分で、与えられた自分の体になんらかの強制措置をすることに、罪悪感があったのかもしれない(こういったら大げさかもしれないが)。とくに、うちの母親はそういう観念があったので、その影響は強いと思う。
そんな私が40歳を過ぎた今、なぜストレートパーマをかけたのか。
自分でもよく分からないが、なんだかどんどん自分が解放されているような気がする。
ストパーをかけてみて思ったこと。
・自分が変ろうと思いさえすれば、こんなにも簡単に変れるものなんだ。
・こういうサラサラヘアに、中学生か高校生の頃なりたかった(時間を取り戻した気分)。
・いつも髪の毛のカットに1時間程度の時間をかけていた私は、3〜4時間もかけてパーマをかけるなんて、時間がもったいないと思っていた。ところが、実際にやってみると3〜4時間はあっという間で、それよりも、その後の手入れがおそろしく簡単なことを考えると、毎日、自分の髪の毛のために鏡に向かっている時間の方がよっぽどロスタイムだったと思った。
・自分の顔を2枚の鏡で立体的に見ると、角度によってはヘアスタイルが違いすぎて、すごくヘンな感じ。
とまあ、いろんなことを感じた。
人の反応もさまざまで、笑う人、全然気づかない人、しげしげと見る人、いろいろある。
似合うという人もいれば、まだ見慣れないという人もいるが、なにより、私自身はちょっとぐらいヘンでも、風に乱れても、ぐしゃぐしゃにしても、手ぐしでさっと元に戻るサラサラな感じが、とても気に入ったのだった。
数十年ぶりに、サラサラの髪を体験している。
幼い頃は、風になびくサラサラヘアだったのだが、小学校高学年の頃からクセがではじめ、いわゆる思春期の頃は、クセ毛が悩みのタネでもあった。
毎朝、ドライヤーとブラシは欠かせなかった。
若い頃は、自分でできるストレートパーマ液で何度か挑戦したこともあったと思う。
でも、二十歳を過ぎてからは、多少自分の髪の毛との付き合い方も心得てきたのか、高額なストレートパーマをかけてまでイメージチェンジしなくてもいいか、と思っていた。
耳にもピアスの穴をあけられない私は、もしかしたら、もっと深い部分で、与えられた自分の体になんらかの強制措置をすることに、罪悪感があったのかもしれない(こういったら大げさかもしれないが)。とくに、うちの母親はそういう観念があったので、その影響は強いと思う。
そんな私が40歳を過ぎた今、なぜストレートパーマをかけたのか。
自分でもよく分からないが、なんだかどんどん自分が解放されているような気がする。
ストパーをかけてみて思ったこと。
・自分が変ろうと思いさえすれば、こんなにも簡単に変れるものなんだ。
・こういうサラサラヘアに、中学生か高校生の頃なりたかった(時間を取り戻した気分)。
・いつも髪の毛のカットに1時間程度の時間をかけていた私は、3〜4時間もかけてパーマをかけるなんて、時間がもったいないと思っていた。ところが、実際にやってみると3〜4時間はあっという間で、それよりも、その後の手入れがおそろしく簡単なことを考えると、毎日、自分の髪の毛のために鏡に向かっている時間の方がよっぽどロスタイムだったと思った。
・自分の顔を2枚の鏡で立体的に見ると、角度によってはヘアスタイルが違いすぎて、すごくヘンな感じ。
とまあ、いろんなことを感じた。
人の反応もさまざまで、笑う人、全然気づかない人、しげしげと見る人、いろいろある。
似合うという人もいれば、まだ見慣れないという人もいるが、なにより、私自身はちょっとぐらいヘンでも、風に乱れても、ぐしゃぐしゃにしても、手ぐしでさっと元に戻るサラサラな感じが、とても気に入ったのだった。
無意識からの交信?!
2009.10.08 *Thu
気がつけば、ここのところ夢の話題が多い。
無意識の世界が活性化しているのか。無意識(の私自身)から伝えたいメッセージがたくさんあるということなのか。これまで無意識の世界にあったものが意識レベルに出てきたということなのか。
ここのところ、象徴的な(自分が勝手にそう思っている)夢をよく見る。
夕べの夢は、飛行機に乗って空を飛ぶ夢だった。
どこからか非難してきたのか、夫と一緒にいるのだが、その飛行機には私が先に乗ることになった。
私の乗った飛行機は、遠回りをして海岸につく。もう一機の飛行機がそこにはある。けれど、遠回りをして後に着いた(私が乗っている)飛行機の方が先に飛べることになって、滑走路の代わりに海岸を走り始める。海岸はデコボコしていたり、人が日光浴をしていたりして、とても危ない感じ。でも、海はエメラルドグリーンで砂は白く、宮古島の美しい景色が広がっている。だんだんスピードを上げて、飛行機は無事に離陸。ちゃんと飛ぶことができた。飛んだ瞬間、夢の視点が飛行機から自分や同乗者に変わる。気づけば、飛行機はなく、人間だけが座った姿勢で空を飛んでいる。私は一番前の左側を飛んでいて、やや高めの位置をキープしている。周囲の人たちはバラバラの高さにいて、私はバラバラになりそうな人たちをまとめようとしている。
そんな夢だった。
夢から覚めて思ったことは、あんな砂浜を滑走路にしてよくも飛べたなぁ、ということだった。
そして、私は宮古島から飛び立つんだと思った。ただし、夫とは別の飛行機で。
それは、まさにカウンセラーになろうとしている私自身のことように思った。
いままで、夫とは職場結婚だし、同じ仕事をしてきたけれど、私は違う飛行機(仕事)に乗るんだなぁ、と。そして離陸させてくれる滑走路は、まさに宮古島で、滑走路(舗装された道=資格を取得できるような環境)が整っていなくても、飛ぶことはできるんだと。
夢の細かなシチュエーションにも意味があって、それらもかみ締めながら、私の無意識からのメッセージをしっかり受け取ったつもりになる。
心配も不安もあるものの、走り出さなければ飛ぶこともできないと思う。とても勇気付けられた。
無意識の世界が活性化しているのか。無意識(の私自身)から伝えたいメッセージがたくさんあるということなのか。これまで無意識の世界にあったものが意識レベルに出てきたということなのか。
ここのところ、象徴的な(自分が勝手にそう思っている)夢をよく見る。
夕べの夢は、飛行機に乗って空を飛ぶ夢だった。
どこからか非難してきたのか、夫と一緒にいるのだが、その飛行機には私が先に乗ることになった。
私の乗った飛行機は、遠回りをして海岸につく。もう一機の飛行機がそこにはある。けれど、遠回りをして後に着いた(私が乗っている)飛行機の方が先に飛べることになって、滑走路の代わりに海岸を走り始める。海岸はデコボコしていたり、人が日光浴をしていたりして、とても危ない感じ。でも、海はエメラルドグリーンで砂は白く、宮古島の美しい景色が広がっている。だんだんスピードを上げて、飛行機は無事に離陸。ちゃんと飛ぶことができた。飛んだ瞬間、夢の視点が飛行機から自分や同乗者に変わる。気づけば、飛行機はなく、人間だけが座った姿勢で空を飛んでいる。私は一番前の左側を飛んでいて、やや高めの位置をキープしている。周囲の人たちはバラバラの高さにいて、私はバラバラになりそうな人たちをまとめようとしている。
そんな夢だった。
夢から覚めて思ったことは、あんな砂浜を滑走路にしてよくも飛べたなぁ、ということだった。
そして、私は宮古島から飛び立つんだと思った。ただし、夫とは別の飛行機で。
それは、まさにカウンセラーになろうとしている私自身のことように思った。
いままで、夫とは職場結婚だし、同じ仕事をしてきたけれど、私は違う飛行機(仕事)に乗るんだなぁ、と。そして離陸させてくれる滑走路は、まさに宮古島で、滑走路(舗装された道=資格を取得できるような環境)が整っていなくても、飛ぶことはできるんだと。
夢の細かなシチュエーションにも意味があって、それらもかみ締めながら、私の無意識からのメッセージをしっかり受け取ったつもりになる。
心配も不安もあるものの、走り出さなければ飛ぶこともできないと思う。とても勇気付けられた。
新しい道
2009.10.01 *Thu
ここのところ、少し寝不足気味。
先日は、あわや息子を遅刻させるところだった。
普段は遅くても12時ごろには就寝しているのに、最近は2時なんてこともある。
家の図面が出来上がったことで、細かいところをあれやこれや夫と話し合っているからだ。
カウンセリングルーム(事務所)の計画も、少しずつ現実味を帯びてきた。
家本体とは別につくるため、予算などを検討しないとまだ何ともいえないのだが、家具の配置を考える段階で、使用しなくなる家具を事務所に置こうということになり、そうすると必然的に、引っ越すときには事務所もできていないと困るということになった。
こんなときに見る夢というのは、また不思議なものだ。
夕べ見た夢は、古い家を取り壊し、更地にしていた。更地になったところからは、新しい道を作るための工事が始まっていた。ある家では、家の裏側に道ができるため、裏が道に面して前になるようだった。
私が作ろうとしているのは、新しい道なんだなぁ。
そして、今までは裏にあったものが、前になるんだなぁ。
まさに、自分の心の中を鏡で見せてくれているようだと思った。
設計士さんに依頼してから1年以上、やっと動き出した家の計画。
当初は、息子が卓球を熱心にしているときだったので、卓球ができる家をと思っていたが、息子の卓球熱も冷め計画は変更に。そうしているうちに、私の心境に変化があり今の計画となった。
借金もするわけだし、働こう!と、今はとても前向きに思う。
先日は、あわや息子を遅刻させるところだった。
普段は遅くても12時ごろには就寝しているのに、最近は2時なんてこともある。
家の図面が出来上がったことで、細かいところをあれやこれや夫と話し合っているからだ。
カウンセリングルーム(事務所)の計画も、少しずつ現実味を帯びてきた。
家本体とは別につくるため、予算などを検討しないとまだ何ともいえないのだが、家具の配置を考える段階で、使用しなくなる家具を事務所に置こうということになり、そうすると必然的に、引っ越すときには事務所もできていないと困るということになった。
こんなときに見る夢というのは、また不思議なものだ。
夕べ見た夢は、古い家を取り壊し、更地にしていた。更地になったところからは、新しい道を作るための工事が始まっていた。ある家では、家の裏側に道ができるため、裏が道に面して前になるようだった。
私が作ろうとしているのは、新しい道なんだなぁ。
そして、今までは裏にあったものが、前になるんだなぁ。
まさに、自分の心の中を鏡で見せてくれているようだと思った。
設計士さんに依頼してから1年以上、やっと動き出した家の計画。
当初は、息子が卓球を熱心にしているときだったので、卓球ができる家をと思っていたが、息子の卓球熱も冷め計画は変更に。そうしているうちに、私の心境に変化があり今の計画となった。
借金もするわけだし、働こう!と、今はとても前向きに思う。



